
江戸名所図会/本所 弥勒寺
現在地/弥勒寺(墨田区立川一丁目)

現在の弥勒寺

江戸名所図会/一つ目橋と江島杉山神社

現在の江島杉山神社
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前回、薬研堀不動の本尊が弥勒寺にお預けとなり、薬研堀から不動院がなくなってしまったお話をしたが、それでは何故、お不動様はこの地に戻ってきたのだろうか?
それは、時代が移り、明治新政府によって、神仏分離令や大教宣布が公布され、全国で廃仏毀釈の風潮が興り、江戸時代には一千坪を越す敷地を有していた弥勒寺も、十分の一ほどに縮小され、薬研堀不動尊もお守りできなくなり、縁のある川崎大師に引き取ってもらうこととなったでござるよ。
しかし、川崎大師は、かつての地元の人々のお不動様を懐かしがる気持ちを汲んで、再びもとの地に川崎大師別院として薬研堀不動院を戻してくれたので御座るよ。明治25年のことだそうだ。
拙者も、本所弥勒寺がどんなお寺か気になって行って見て来たので御座るよ。百坪もないぐらいの
小さなお寺であったが、なかなか風情があり、不動尊を預かって下さったお寺だと思うと親しみを覚えたで御座る。見ると杉山検校が埋葬されているとの事、近くには杉山検校が将軍綱吉公より千坪を頂いた江島杉山神社が、現在はやはり小さな社となりたたずんでいた。この神社は、視覚障害者に針治療の教育をした、世界最古の障害者自立の教習所があったところで御座る。座頭市殿もここで修行したので御座ろう、そして奇遇なことに、この神社をお守りしているのは、東日本橋二丁目町内にある、初音森神社の宮司田部さんだそうだ。三社共に、やげん堀商店会と深い縁のある神社仏閣であり、時代の変遷を余儀なくされた歴史を語っておった。
さて、弥勒寺にいってから戻るまでの60年間、不動院の場所はどうなっていたのだろう、
そこには、もうひとつの歴史が刻まれているので御座るよ、それは又の機会に。
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