江戸情緒、魅力的な写真スポットとして注目を浴びるやげん堀界隈、穴場スカイツリーサイト、柳橋と屋形船、隅田川花火大会、初音森神社、歳の市、問屋街
HOME >> 江戸を斬る

2017.10.20

11月町内清掃のお知らせ

■11月5日(日)朝7時〜8時迄 町会会館前朝7時ス…


 

 

コンテンツ一覧


 

江戸文化についてちょいとモノ申す。

 

 

 

 

 江戸を斬る

■第三話

江戸名所図会/本所 弥勒寺
現在地/弥勒寺(墨田区立川一丁目)

第三話
現在の弥勒寺

第三話
江戸名所図会/一つ目橋と江島杉山神社

第三話
現在の江島杉山神社
前回、薬研堀不動の本尊が弥勒寺にお預けとなり、薬研堀から不動院がなくなってしまったお話をしたが、それでは何故、お不動様はこの地に戻ってきたのだろうか?
それは、時代が移り、明治新政府によって、神仏分離令や大教宣布が公布され、全国で廃仏毀釈の風潮が興り、江戸時代には一千坪を越す敷地を有していた弥勒寺も、十分の一ほどに縮小され、薬研堀不動尊もお守りできなくなり、縁のある川崎大師に引き取ってもらうこととなったでござるよ。
しかし、川崎大師は、かつての地元の人々のお不動様を懐かしがる気持ちを汲んで、再びもとの地に川崎大師別院として薬研堀不動院を戻してくれたので御座るよ。明治25年のことだそうだ。
拙者も、本所弥勒寺がどんなお寺か気になって行って見て来たので御座るよ。百坪もないぐらいの
小さなお寺であったが、なかなか風情があり、不動尊を預かって下さったお寺だと思うと親しみを覚えたで御座る。見ると杉山検校が埋葬されているとの事、近くには杉山検校が将軍綱吉公より千坪を頂いた江島杉山神社が、現在はやはり小さな社となりたたずんでいた。この神社は、視覚障害者に針治療の教育をした、世界最古の障害者自立の教習所があったところで御座る。座頭市殿もここで修行したので御座ろう、そして奇遇なことに、この神社をお守りしているのは、東日本橋二丁目町内にある、初音森神社の宮司田部さんだそうだ。三社共に、やげん堀商店会と深い縁のある神社仏閣であり、時代の変遷を余儀なくされた歴史を語っておった。
さて、弥勒寺にいってから戻るまでの60年間、不動院の場所はどうなっていたのだろう、
そこには、もうひとつの歴史が刻まれているので御座るよ、それは又の機会に。

■第二話

回向院から見た元柳橋の図
拙者が前々から疑問に思っていることを薬研堀不動院の御住職に伺ってみよう。
 江戸一番の盛り場にあり、旦那衆を始め、歌舞伎役者や芸者衆からも信仰を集めて、
江戸三大不動にも数えられていた薬研堀不動院が江戸時代の地図に載っていないのは何故なのだろうと、前から不思議に思って居ったのだ。
そうしたら、さすがは御住職、いい事を教えてくださった。
一つには、1830年代の天保の改革。風俗矯正と倹約令により、
あまりに賑やかだった広小路界隈にお咎めが下され、芝居小屋が浅草猿若町に移されるなど、様々なことが行われたそうだ。
その時、薬研堀不動院は本所の弥勒寺にお預けとなっており、
この地から移転されていたのだ。
もう一つは、江戸切絵図についてのことだ。
江戸時代、飛躍的に発達した印刷技術によって、
1840年代から江戸の町の切り絵図が盛んに作られた。(尾張屋の切り絵図などが有名)
江戸勤めで出てくる武士などには大変重宝されたらしい。
また、江戸の土産、記念品としても人気だった。
少し前に、伊能忠敬や間宮林蔵などが輩出したように、地図の作成技術も精巧になり、
江戸の町の詳細な様子を今に伝えることが出来るようになった。
その頃薬研堀不動院はこの地から姿を消していたのだ。
というわけで、不動院の載っている古地図は見かけないので御座るよ。
一つ疑問が解けると、又さらにこの土地について知りたくなってくる。
次は何を話そうか、楽しみで御座るよ!

■第一話


なんとも勇ましいコーナーが出来てしまったが、そんな大げさなものでもなく、平成生まれの拙者にとって、ふるさとである江戸時代のことが知りたいのじゃ!特に、この町の昔が知りたい。しかし、江戸随一の繁華街といわれたこの町の事が、案外書かれていないのじゃ。今流行の江戸を舞台にした時代小説の中にも、橋向こうの深川や本所の方が良く出てくる。護符内のこちらより、橋向こうのほうがワイルドで事件も多かっただろうから、描きやすいのだろう。橋のこちら側になると、どうしても神田や室町、日本橋になって通り越してしまう。なんとしてもいろいろな歴史の詰まっているこの町の事を、ひも解いていきたいもので御座る。
薬研堀不動院の住職は江戸時代うまれのような方だから、今度お話を聞きに行ってみよう。


1/1ページ
   |  次の5件

HOME >> 江戸を斬る
?g?уA?N?Z?X???